音楽を楽しむということは多くの場合、音楽を「きいて」楽しむ事を指す。
また、楽器が出来る人なら演奏する事も楽しいだろうし、観るのも楽しい。
こうした行為は、音楽を「読む」ことが無ければ成立しない。
「読む」とは決して楽譜を読むということだけじゃない(
手元の辞書によると、読むとは「文字・
ある。では文字とは何か?辞書で調べると「字」とある(おいっ!
字とは何か?「ことばをしるす記号」とある。ではことばとは?
それは言語である。
ウィキペディアによれば言語とは「
コミュニケーションは伝達であるから、
それぞれ独自の言語を持ち、
音楽は多くの人にとって音による表現だ。
音による情報の伝達というのは
読み手の断片的な意味の理解とその想像力で、ある程度成立してしまう。これが
音楽に国境はない(言語や、意味に依存しない)。という部分だ。 しかし、こうした
勝手な理解ではその音楽が持つ全体像をとらえきれない。理解する為に人は、
音楽を評価する。 自分にとって「合う」、「合わない」など、個人的な感想に基づいて。
評価とは対象に値を付ける行為であり、商品の価値を決める行為だ。その音楽の
優劣を見極め、「良い音楽」と「悪い音楽」あるいは、「好きな音楽」と「嫌いな音楽」に
わける。そうすることでそれが何であるか個人的に再定義するのだ。個人的に再度
定義された音楽はそれはもはや元の意味を語ることはない。 それは商品であり、
個人の所有物となるからだ。
音楽はただの記号の体系だ。良いも悪いもない。作曲者が構築した身勝手な
体系であり、その体系を読むことが、音楽を楽しむことでないかと考える。
作曲者が構築した、身勝手な体系を読み解くことはとても楽しい。
つづく
0 件のコメント:
コメントを投稿