2011年6月14日火曜日

日記5


先日告知したba$icやりました。キラーさんのブログに写真あります。
そういえば当日ユーストリームで配信もやりました。
ゆるゆるなパーティーですが、フットワーク軽めです。
最初、僕のDJは録音してどっかでアップしようかと考えてたんですが、
当日ユーストリームで配信した為、今回はアップやめときます。

たぶん次回もあるハズ。よろしくお願いします。

2011年5月28日土曜日

live

 
basic@Loser
6/4 20:00
act:
どんつく
dj killer
dj violent holiday
DISTEST



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2011年4月27日水曜日

散文(音楽で遊ぶ)2



ここ最近ライブ用として買ったSP-404で遊ぶことが多い。

こんな感じで繋いでエフェクターとして使ってます。

1(PC→SP-404)
2(SP-404→PC)
1の時にエフェクトかけながらサンプリングして、その音を2でPCに返す。で、気に入るまで繰り返す。

理想の音質と音楽追求の為、モノエディット仕様最優先の化石環境で作曲してますが、エフェクター使うだけでさわやかな清涼感を感じます。 言うなればブラインドのようです。今までは手作業でエフェクトかけていたので、何時間も費やすとかザラでしたが、、これは言うなればカーテンですね。

良い点
・作業効率が上がる

悪い点
・出来る事が多すぎて曲としてまとめるのが大変(音作りが楽しすぎて作曲に集中出来ない)
・音をケーブルに通してやり取りする事が増えるとその分音が痩せる気がする

今の所、作曲はPCでシーケンスを組む事を前提としてますが、このサンプラーの癖が掴めたらこれだけで作曲というか演奏出来そゲですね。一応サンプラーの中にもシーケンサーがあるんですが、まぁ使う使わないに関わらず。

2011年4月22日金曜日

cocacorerecords






いろいろと準備してます。出来たら出す。出したらやるスタイルで。フレッシュな感じでスカコーラ。

COCA CORE RECORDS
Copyright (C) 2011 Violent Holiday All Rights Reserved.

2011年4月11日月曜日

日記4



松岡正剛「白川静」を読みました。

事情によりサっと読みでしたが(図書館で借りただけです。。)
面白いです。一度図書館で借りた本は後で買ってしまうことが多いので見つけたら買うかも。

基本的には「白川静」さんのガイド本なので、この本を起点に面白い読書世界がさらに
広がるのでしょう。ただ、あまりにも広大すぎるので経済的に追いかけるのはキツイです。
今のところ僕が読むには図書館で。ですね。

この本の中に出てくる言葉に「遊ぶものは神である・・・」という言葉があるのですが、
そのあたりシビれますよ。ゾクゾクします。岡本太郎さんの本を読んでシビれる感じと
僕は似てると思います。カッコいい。

中学生の時にこの本に出会えていたら。。と、僕は思いました。

2011年4月7日木曜日

散文(音楽で遊ぶ)1



音楽を楽しむということは多くの場合、音楽を「きいて」楽しむ事を指す。
また、楽器が出来る人なら演奏する事も楽しいだろうし、観るのも楽しい。
音楽をきいて踊ったり、歌ったり、音源を収集・分類するのもまた、楽しい。

こうした行為は、音楽を「読む」ことが無ければ成立しない。
「読む」とは決して楽譜を読むということだけじゃない(楽譜を読むのも楽しいけど)。

手元の辞書によると、読むとは「文字・文章をみて意味をといていく」「意味をさとる」と
ある。では文字とは何か?辞書で調べると「字」とある(おいっ!笑)。気を取り直して、
字とは何か?「ことばをしるす記号」とある。ではことばとは?

それは言語である。
ウィキペディアによれば言語とは「コミュニケーションのための記号の体系」とある。
コミュニケーションは伝達であるから、音楽に限らず表現というのは、作品そのものが
それぞれ独自の言語を持ち、その意味を語っているということになる。

音楽は多くの人にとって音による表現だ。
音による情報の伝達というのは、その音楽のもつ意味がすべて分からなくても、
読み手の断片的な意味の理解とその想像力で、ある程度成立してしまう。これが
音楽に国境はない(言語や、意味に依存しない)。という部分だ。 しかし、こうした
勝手な理解ではその音楽が持つ全体像をとらえきれない。理解する為に人は、
音楽を評価する。 自分にとって「合う」、「合わない」など、個人的な感想に基づいて。
評価とは対象に値を付ける行為であり、商品の価値を決める行為だ。その音楽の
優劣を見極め、「良い音楽」と「悪い音楽」あるいは、「好きな音楽」と「嫌いな音楽」に
わける。そうすることでそれが何であるか個人的に再定義するのだ。個人的に再度
定義された音楽はそれはもはや元の意味を語ることはない。 それは商品であり、
個人の所有物となるからだ。

音楽はただの記号の体系だ。良いも悪いもない。作曲者が構築した身勝手な
体系であり、その体系を読むことが、音楽を楽しむことでないかと考える。
作曲者が構築した、身勝手な体系を読み解くことはとても楽しい。


つづく

2011年3月29日火曜日

日記3



最近、音で遊ぶというのがなんとなくわかってきた。
というか音に限らず遊び方を知らんかった。今まで。